年子の妹ができて、早々にお姉さんになりました。よくしゃべる活発な子だったと思います。父が座禅をするので静かにと言われ、できなくて外に出されたりはしょっちゅう。母親が園に提出していた日記には、私の育て方が悪いのかしら、自分の性格がこんなだから、など母が自己嫌悪に陥る様子ばかりが綴られていました。「それ違うよ~私の個性。本能のままに行動し発言する性格なのよ~」と今なら伝えられます(笑)小学生時代も活発な子どもで勉強には興味は湧かなかったけれど、音楽と体育と友達と遊ぶことは大好きでした。6年生の時に弟ができてよくお世話をしました。そのおかげか記憶を頼りに自分の最初の育児もあまり気負わずできたように思います。
ザ・反抗期。教員をしていた父には家の中にも校則をもちこまれ、息苦しかったです。親に意見を言う、理由を説明するは許可されず、大声で怒鳴られるばかり。母も向き合ってはくれず、もう話はしないと決め、ここからしばらくの間コミュニケーションの無い関係が続きました。(今はよくお話していますよ)学校生活は楽しく、学級委員など何かしらの役員を引き受けていました。1期生で入学した高校では3年間応援合戦の振り付けを担当したことで、将来はエアロビクスインストラクターになると決めて体育科へ進みました。短大生時代にはダンスにはまり、ちょこっとキャンペンガールもやりました。時はバブル時代です。
スポーツクラブに入社して、エアロビクスや筋力トレーニング、ストレッチや格闘技系などさまざまなプログラムを行っていました。ダンススクールにも通い、休日は新幹線で有名インストラクターのレッスンを受けに行ったり、発表会のリハーサルがあったりと。今では考えられない体力で動いていました。そして反抗期は続いており(笑)説教は相変わらずでしたが、長時間の正座にもすっかり慣れ、私は怒られてばかりのダメ人間、、などと思うことは1ミリもなく、「来るならこいや~」と謝ることはなく折れることなく。メンタルを鍛えていました(??)
29歳で結婚し、長男を出産。マタニティビクスを楽しみにしていたものの、動けば張るお腹でソファーで横になる日々。長く家に引きこもっていたためか、人とスムーズに会話ができなくなり、今思えばうつっぽい状態だったかもしれません。体調も優れず、肩こり、腰痛、息切れなど不調のオンパレード。3年後に次男を出産。こちらは出産直前までつわりが続き、産後もよろよろ。鍛えた筋肉もどこへやらのふにゃふにゃのカラダに。。。そんな時、産院の体操教室でストレッチポールと出会い、カラダとココロの変化に感動!!早速コンディショニングについて学びをスタートさせました。次男の幼稚園入園時にはママを対象としたママコンディショニング教室を開催。7年間、ママ達の産後の不調や育児で酷使しているカラダを癒し、整える教室を行ってきました。同時に高齢者を対象とした楽笑(らくしょう)体操もスタート。整えることを目的としたコンディショニングインストラクターとして30代後半からの新たなチャレンジでした。同時に効果を引き出すためのスキルアップとしてNLPカウンセリングの受講。これが自分の癒しを始めるきっかけとなりました。子育て中に大変だったことは私の子供時代が度々思い出されたこと。4人兄弟の長女で甘える間もなく育っていたので愛されたかったと(笑)自分自身の勘違いということにも気づいて、前に進むべく今度はコーチングを学びました。
エアロビクス、高齢者向けの楽笑体操、ダンス振り付け、親子ふれあい体操、青空レッスン、パーソナルレッスン、お手当セラピーを定期的であったり不定期に開催。養生をベースにしたコンディショニングの内容を音声配信、ブログで発信を始めました。子供もいよいよ手が離れてきました。反抗期にドキドキしていましたが(私がひどかったので)、本人達の気質なのかあれ?という感じ。次男に至っては3歳ころから「この子は子供のふりをした大人だわ…」と思わせる悟り感を放ち、なぜか私が諭される日々を送っています。
「ケ・セラセラ」。50代に入り良い加減の適当さが以前よりも出てきたように感じます。力まず物事に取り組んだり、違いを楽しみ最後は笑いで終わる、そんな日々を過ごしています。大きな時代の転換期に迎えた50代。「ココロとカラダと魂と。ゆるっとゆるめて整える」これがこれからの自分のコンセプト。同時に「深い癒しにいざない本当の自分と繋がるお手当セラピー」も同じ気持ちで広めていきたいと思います。
ザ・反抗期。教員をしていた父には家の中にも校則をもちこまれ、息苦しかったです。親に意見を言う、理由を説明するは許可されず、大声で怒鳴られるばかり。母も向き合ってはくれず、もう話はしないと決め、ここからしばらくの間コミュニケーションの無い関係が続きました。(今はよくお話していますよ)学校生活は楽しく、学級委員など何かしらの役員を引き受けていました。1期生で入学した高校では3年間応援合戦の振り付けを担当したことで、将来はエアロビクスインストラクターになると決めて体育科へ進みました。短大生時代にはダンスにはまり、ちょこっとキャンペンガールもやりました。時はバブル時代です。
18歳からジャズダンスを習い始め、出産や仕事が多忙時などはお休みしながらも長く続いています。今でもイベントや発表会などで踊らせてもらっています。踊ると気分が一気に変わります!ハードな振り付けは何も考えられなくなるので、いやなことも全部どうでもよくなります(笑)落ちた気分を一気に引き上げる方法が無我夢中レベルで踊ること。波動調整のためにも私の場合は体力づくりが欠かせません。
子供たちが小学生のころからサッカーをやっています。泣いたり喜んだり。チームメートと共に頑張る姿が私に大きなパワーを与えてくれます。週末の楽しみです♪